💔 純信とお馬の恋物語 ― はりまや橋に刻まれた悲恋と伝説【高知観光ガイドタクシー】

純信とお馬の恋物語 ― はりまや橋に刻まれた悲恋と伝説【高知観光ガイドタクシー】

高知市中心部にあるはりまや橋。 「♪土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た~」と歌われ、よさこい節やペギー葉山さんの『南国土佐を後にして』で全国的に知られる名所です。 しかしその背景には、純信とお馬という二人の若者が残した、切なくも美しい恋物語が息づいています。

🌸 禁断の恋の始まり

文政2年(1819年)、土佐国高岡郡で生まれた純信は、9歳で京都に上り修行を積んだのち、五台山竹林寺の脇坊住職となりました。 そんな彼が恋に落ちたのは、20歳年下の鋳掛屋の娘・お馬でした。 当時、僧侶の妻帯は固く禁じられており、この恋はまさに禁断のものでした。 純信37歳、お馬17歳。二人はやがて抗えぬ恋心に突き動かされていきます。

💍 かんざしに込められた思い

有名な「坊さんがかんざしを買った」という話は、実は純信ではなく、若き修行僧・慶全がモデルでした。 お馬に思いを寄せていた慶全は、はりまや橋近くの橘屋で珊瑚のかんざしを買い、彼女に贈ります。 しかしお馬の心は次第に師である純信に傾き、慶全の想いは届きませんでした。 慶全は嫉妬のあまり「純信がかんざしを買った」と讒言し、その噂が城下に広まり、二人は次第に居場所を失っていきます。

🏃‍♂️ 駆け落ちと捕縛

安政2年(1855年)5月、二人はついに駆け落ちを決意。 笹口番所の裏道を抜けて阿波(徳島)へ、さらに讃岐(香川)の琴平へと逃れます。 しかし琴平の旅籠で関所破りの罪により捕らえられ、高知城下へと送還。 9月には面晒しの刑に処され、国外追放の憂き目に遭いました。 この一件は「坊さんと娘の駆け落ち」として土佐中に広まり、よさこい節の歌詞の一節へと昇華していきます。

⛰ その後の人生

追放後、純信は伊予国川之江で寺子屋を開き、晩年は愛媛県久万高原町で「慶翁徳念」と名を変えて暮らしました。 後に妻を迎え子をもうけ、明治21年(1888年)、69歳で生涯を閉じます。 一方のお馬は安芸郡や須崎で奉公したのち、大工の寺崎米之助と結婚。 子に恵まれ、上京して東京で明治36年(1903年)、66歳の生涯を終えました。 二人の運命は離れ離れになったものの、その恋は土佐の人々の心に深く刻まれています。

はりまや橋は「日本三大がっかり名所」とも呼ばれますが、その背景に眠る「純信とお馬の恋物語」は、土佐の歴史と人情を映す忘れられぬ物語です。
朱塗りの橋を渡りながら、この悲恋の記憶にそっと思いを馳せてみてください。

高知観光ガイドタクシーより

当タクシーでは、はりまや橋をはじめ、竹林寺や純信とお馬ゆかりの地をご案内可能です。
恋物語に彩られた史跡を訪れながら、土佐の歴史と文化を体感してください。

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