🏯 長宗我部元親と若宮八幡宮にまつわる逸話【高知観光ガイドタクシー】
🏯 長宗我部元親と若宮八幡宮にまつわる逸話
戦国時代、土佐を統一し四国の覇者となった長宗我部元親。その足跡は高知各地に色濃く残り、特に「若宮八幡宮」との関わりには、戦国の世を象徴するような数々の逸話が伝えられています。ここでは、元親の戦いと信仰、そして神社創建の由来に迫ります。
⚔ 不吉の鳥居を破壊した逸話
- 出来事:天正14年(1586年)、豊臣秀吉の九州平定に従軍する際、若宮八幡宮で戦勝祈願をした元親。ところが軍旗が鳥居の笠木に引っかかり落下するという出来事がありました。
- 元親の解釈:家臣らが「不吉」と恐れる中、元親は「敵を笠にかけて討ち取る吉兆」と強気に解釈し、そのまま出陣します。
- 悲劇:しかし戸次川の戦いで大敗し、嫡男・信親を失うという痛恨の出来事が起こりました。憤慨した元親は帰国後、鳥居を破壊して海に流したと伝わります。
- 再建:その鳥居は慶応元年(1865年)の地震で台座が浮かび上がり、これを「神意」と考えた人々により再建されました。
🐉 初陣と「出蜻蛉(でとんぼ)」式社殿
- 初陣の勝利:永禄3年(1560年)、22歳の元親は若宮八幡宮の馬場先で初陣を迎え、見事勝利を収めました。
- 勝虫トンボ:トンボは後退せず前進のみをすることから「勝虫」とされ、縁起の良い象徴でした。以後、元親は必ず若宮八幡宮で戦勝祈願を行いました。
- 出蜻蛉と入蜻蛉:元親は社殿をトンボが飛び立つ姿に見立てた「出蜻蛉式」に改築。凱旋の際には土佐神社に参拝し、そこはトンボが舞い降りる「入蜻蛉式」とされました。
⛩ 若宮八幡宮の創建逸話
- 源頼朝による創建:文治元年(1185年)、平家を滅ぼした源頼朝は、京都の六條若宮八幡宮の神領として土佐国吾川郡南部を奉納。
- 鎮護の神として分祀:その地を守護するため、同年12月30日に現在地へ若宮八幡宮を分祀したと『吾妻鏡』に記されています。
このように若宮八幡宮は、元親の人生に深く関わり、勝利と敗北の象徴となった場所です。鳥居や社殿に込められた逸話は、戦国武将の気迫と信仰の在り方を今に伝えています。
※地図を拡大して目的地を入力すると、ナビとしてご利用いただけます。
❓ よくある質問(FAQ)
Q. 若宮八幡宮の鳥居は現在も残っていますか?
A. はい、元親が破壊した鳥居は慶応元年に再建され、現在も神社にその姿を見ることができます。
Q. 出蜻蛉式と入蜻蛉式の社殿は見学できますか?
A. 若宮八幡宮の出蜻蛉式社殿は現地で拝観可能で、土佐神社には入蜻蛉式社殿が残され、対照的な造りを体感できます。
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